様式芸(例:あるある探検隊)というお笑いのジャンル、ボケとツッコミ、お笑いのオリジナリティについて書いてきました(まだの方は、前号までをご覧ください)。
ツッコミ芸自体は、単体では存在することが出来ません。当たり前ですが、ツッコむ対象(相方・共演者・素人・事件など)がなければツッコめないはずです。だからこそ、何が来ても「ツッコミ」を入れるだけで芸が成り立ってしまいます。さまぁ〜ずの三村さんの「○○かよっ」というツッコミは端的ですが、何かが来たときに「○○かよっ」と言えば芸が成立します。
前回も書きましたが、それが一つの様式芸の要素を持っている、もっといえば「事象」に含まれている「お笑い成分」を顕在化する数式が「ツッコミ」芸だと言えるでしょう。
●ボケは「お笑い成分」を持つ「事象」を作り出す、もしくは平凡な出来事に対して「お笑い成分」を付与する
●ツッコミは「事象」に含まれている「お笑い成分」を顕在化する
と、ここまでの文をまとめてみたいと思います。
では、ツッコミにはオリジナリティがないか、と言われれば、無論「否」です。
漫才の場合、いかにボケがボケようとも、それに対して適切なツッコミができなければいけません。「最低限の仕事」であれば簡単なのですが、それ以上を目指そうとすると、やはりオリジナリティが必要になってきます。「くりぃむしちゅー」の上田さんのような比喩を用いてツッコミを入れる、など、お笑い芸人のツッコミにも特色があります。「最低限」から、いかに自分ならではの「ツッコミ様式」を確立するか、はツッコミにとって重要課題と言えるでしょう。
ツッコミが顕在化させなければ、観客が「笑うポイント」をスルーしてしまうかもしれませんし、面白みに気づかれない可能性すらあります。それを防ぎ、かつボケの笑い成分を増幅させるのが「ボケを生かすツッコミ」とよく巷で言われているものでしょう。
さて、ツッコミ芸には、様式芸やボケには真似できない、美味しい部分があります。
それは「他の人の芸を引き出す」ということです。ツッコミは「事象」に含まれている「お笑い成分」を顕在化する、と書きましたが、これは対象である「ボケ」が居なくても、他のものでも良いのです。相手が何であっても「ツッコミ」が成立するわけですから。
いかにボケの芸を引き出すか、ということで磨かれたツッコミの芸は、いわば「トーク番組の司会者」には非常に役立つスキルなのです。タモリさんや島田紳介さんといった司会者は、いかに共演者を「いじる」ことができるか、が問われます。会話の流れの中で、いかにツッコミスキルを活用し、共演者の違った面を掘り起こし、笑えるネタに昇華させることが出来るか、が非常に求められているのです。それが、いわば「お笑い成分の顕在化」に該当する部分といえます。
もっと言えば、何が来ても「顕在化力」さえあれば、番組を成立させてしまえる、ということです。いわば、庶民の使っていた日常の器を「茶器」に見立てて茶器の価値を一変させてしまった千利休と同じことでしょう。
それまでは高価な中国からの輸入品である「青磁」などを用いていたものを、朝鮮の普通の人が使っているような茶碗を抹茶茶碗として使い、「わび」「さび」という価値観を導入したことで、茶道を芸術にまで高めた事は有名です。利休は日常の器の中に美を見出し、ツッコミ司会者は共演者に「お笑い成分」を見出しているのです。
それは、自分が何かを直接クリエイトしなくても、「見出す」ことさえできれば付加価値を生み出すことが出来る、という点において学ぶべきことがあります。自分で付加価値を作り出すのではなく、そのものが本来的に持っている価値を顕在化することで、付加価値を高めることが出来るのです。利休の場合は「見立て」ですが、これが国際的な空間移動であれば「貿易」となるでしょう。貿易は、より「高く」売れる国へと品物を持っていくことにより、そのもの自体を変質させずに付加価値を与えることが出来るのです。
しかも、この司会者体制が確立すれば、かなり長期間にわたって番組を維持することが出来るのです。コンテンツを提供してくれるのは共演者(しかも目まぐるしくメンバーは入れ替わる)で、彼らが新鮮なネタを提供してくれるので、司会者は料理していけばいいのですから、長期政権は維持できるのです。つまり、自分自身がクリエイトする、ということは飽きられるリスクが高いかもしれませんが、「お笑い成分を見出す」というコアコンピタンスさえあれば、長期にわたって番組が維持できるわけです。
デパートには老舗企業が多いですが、まさに「ツッコミ司会者」と同じと言えるのでは無いでしょうか。デパートは自社のバイヤーが売れるものを仕入れてくるという部分と、場所をブランドに貸し出すという場所貸しの部分があると思います。
つまり、前者はセレクションによって、自店でより売れるものを見出すわけですから、「事象にお笑い成分を見出す」という司会者に共通しており、後者は「バラエティ番組でキャラの立つ若手芸人(デパートの場合は有力海外ブランド)を入れておけば視聴率が取れる」という部分で共通すると思うのです。極論すれば「勢いのあるブランドに場所さえ貸しておけば儲かる」という話ですね。一時期、デパートが軒並み景気が悪くなりましたが、まさに後者の場所貸しだけで独自性を打ち出せなかったのが要因ではないか、と言われたこともありました。「司会者なんていらないんじゃない?ただ立っているだけでしょ」と言われたわけですね。
だからこそ、この「見出し」と「場所貸し」の要素が長期にわたって維持する秘訣ではないのかな、とテレビを見て思うのです。