子供は創造性豊かで、大人は乏しいと思われる事はあるでしょう。世間一般でも、そう思われていることはありますが、創造性、独創性と「固定観念が無い」というのはまた違うことです。ここのあたりを勘違いしますと、子供の自由な発想を狭めたり、逆に付け上がらせることになったりするかもしれません。
子供の場合、オトナに比べて社会規範や固定観念に乏しいです。これは、周りの人たちがおいおい教え込まなくてはならないことですから、乏しくて当たり前といえば当たり前ですけど。よく子供が「言ってはいけないことを口走」ったり、オトナが思いつかないようなアイデアを出したり、発想できたりするのは、創造性が豊かなだけではなく、社会的な固定観念が無いという要素もあると思います。
通常、オトナは規範や観念のレンズを通して世の中を見、判断して、それに従って過ごしています。いちいち細かいことに驚いていては生活できませんし、ある程度、出来事をパターンとして分類した方が処理するのに適しているからなのです。童話「裸の王様」は、それを端的に表した話で、大人たちは王様の権威やら付き人の暴力やらがあるからこそ「いい服だ!」と誉めそやすわけです。
この場合、確かに子供の叫んだ「王様は裸だ」は独創的です。が、大人はもちろん裸ということぐらいは知っています。ですが、その裸だという事実が独創的ではなく、裸だと指摘したことが独創的なのです。では、それが創造性豊かだからか、といえばやはり固定観念や基礎知識(王様に逆らうととんでもない目にあう、とか)がないからでしょう。これを意図的にずらしたり外したりして指摘し、作品化すれば独創性があると思いますし、それを職業にしているのがアーティストではないでしょうか。
さて、ここでboominがBBSで指摘した研究者の独創性とは、まず始めに専門性を問われていることであって、そのフレームワークを意図的に外したりして新境地を開くことに認められるものです。例えば、今までの理論では証明できない出来事が起こったとします。今までの理論とは、すなわち固定観念化・常識化しているもので、もしかすると新しい事象の方が「誤差」「実験の間違い」として流されるかもしれません。そんな中から、別の理論を組み立てていって、既成概念を打ち破る。それが研究者の独創性です。
ですから、いくら子供が創造性豊かだとは言っても、「なんであれは○○なのぉ〜」と聞かれて「それはね・・・・あ!そうかそうだったのか!」と発見の契機になった、という展開はありえますが、専門教育を受けていない人間はそもそもスタートラインにいないわけで、創造性豊かな子供から急に「核融合発電を地上で行う際の、技術的な問題はねえ、こう解決できるよ」なんて教えられる事は100%ありえず、仮にあったとしたら有名物理学者の生まれ変わりか交霊術を体得して大学者の霊から教えてもらっているかで、発言内容よりも発言したことに対して研究のメスが入ると容易に予想できるのです。
頭が固い、というのは逆に言うと頭の中のパターン化が完成されてしまって、崩れないぐらい硬くなっている、ということです。それでも生活できますし、むしろ日常生活や業務がスムーズに進む可能性もありますから、ムリに創造性を啓蒙しなくてもいいと思います。
というか、あんまり創造性を発揮されても困る分野もあるわけで、宇宙飛行士はそうらしいですね。毛利衛さんの「宇宙の風」(朝日文庫)によると、
「自然科学者というのは、過去の人が見つけ出したマニュアルに書かれた解決策では満足しません。そのほかにもきっと、もっといい解決策があるのではないかと考えてしまうんです。ただ、実際にシャトルで不具合があったときに、そんなことをしていては手遅れになってしまいます。独創的な発想、自分なりの解決策というのは歓迎されません。歓迎されないどころか、邪魔なこと、してはいけないことなのです」
武道を習ったことがある人なら、最初に型や反復練習をすることがあると思います。これらも、独創性云々よりも、まず基礎力がなければ、という典型ですね。これらに、なぜ独創性が求められないかといいますと、「ルールが決まっているから」の一言です。ルールが決まっているからこそ、まずはルールで勝てなければいけません。剣道で「相手をやっつける」ということに独創性を発揮して、相手を殴りつけても勝ちにはなりません。基礎力を身につけた上で、初めてどうやって戦うかの独創性、創造性を発揮できるのです。
では、ルールが無ければ基礎力が無くてもいいのか、創造性で勝てるのかといいますと、ルールが無ければ勝ちも何も無いわけですから、やはり勝てません。なんだ、創造性は基礎力がないと使えないのか、といいますと、そうとも言い切れません。ルールそのものを変えてしまうという手があります。ただし、中途半端な創造性では通用しません。ルールはしょっちゅう変わらないからルールとして通用しているわけです。その変更したルールに皆が従ってくれるかも重要でしょう。独創力だけで覆すなら、一般的に思われているレベルを超えたものでなければなりません。
創造性だけで勝負するという事は、「ギターもピアノも歌もだめで楽譜も読めないですけど、新しい音楽がつくれます」といっているのと同じです。これで新しい物が作れてしまう天才も中にはいるでしょうけど、一般的にみたらおかしいですし、おそらく、かなり高い確率で、愚にもつかないものが出てくるでしょう。やはり、最低限で、創造性をつぶさない程度でよいので、基礎力はつけないと土俵に乗ることができなくなるのでは、と考えています。義務教育に対して。