『とっっかえて』

- Exxchange -
 朝起きると、知らない女性が隣で眠っていた。確かに自宅の寝室である。でも、全く知らないひとだ。学生時代、酒で大きな失敗をしてから前後不覚になるまで飲むことはないし、まさか麻薬をやっているわけも無い。
 昨夜は、残業して提案書をまとめた後まっすぐ家に帰り、夕食をとり、テレビをながめた後に風呂に入った。それから妻の律子とベッドに入ったはずだ。この女が入り込む隙は、全く無かったはずだった。

 女は律子のパジャマを着て、眠ったままだった。私が熟睡している間に、妻の友達が転がり込んできて、寝室に倒れこむようにして眠ってしまい、動かせなくなったのかもしれない。そんなことは、ないとは思うけど。

 リス系の寝顔が、とてもかわいい。年は、20代前半ぐらいといったところだろう。出会った頃の妻よりも美人で可憐で、私のタイプである。周囲を見回し、誰も居ないのを確かめると、私と彼女を覆っていた蒲団を、そっとめくってみる。ううむ。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。グラビアアイドルだって、こんな逸材はいないだろう。目が覚めた時、どう反応するか、楽しみのような怖いような、ともかく律子はいったいどこにいったのだろうか。こんな所を発見されたら、何と言えばいいのやら。

 私は、彼女を起こさないように素早く部屋を出て、顔を洗いに行った。鏡に映った自分の顔から、眠気はすっかりとれた、と思う。彼女は、もしかすると夢かもしれない。昨日は、確かに自宅に帰って妻と一緒に夕飯を食べた。知らない人間が訪ねてきた記憶は、ない。幻でもみたのか、眠気と疲れで、うつらうつら電車の中で読んだ週刊誌のグラビを思い出してしまったのだろうか。

 寝室のドアから覗くと、さっきと同じような感じで「誰か」が寝ている。この位置からでは顔がよく分からない。意を決してダブルベッドの反対側に回り込むと、やはり蒲団に半分埋まっている顔は、妻ではない。第一、律子はどこにいったのだろう。

 「おはよー、お父さん」
 「おはよう」

 娘の加代子が、部活の朝練に行く為に起きてきた。

 「どうしたんだ、今日は。声がいつもとちがうんじゃないか。合唱部の練習か何かで裏声でも使っているのかい?」
 「ううん。いつものとおりだよ」
 「加代子、・・・・?」
 「なーに?お父さん?」

 パッと洗面所から出た顔は、知らない子供のものだった。娘の友達・・・か。いや、それならなぜ、娘の名前に返事をするのだ。

 「ねー。お母さんは?」
 「ああ、うん・・・」
 「まだ寝室に居るの?」
 「あー、どうだったかな」
 「まだ起きてないの?」

 その子供は、
 「ああ、止めておきなさい」

 静止するのも聞かず、
 「なーんだ。まだ寝てるじゃない。でも、ここのところ疲れてたみたいだから、仕事が終わった次の日くらい寝かせてあげようよ。パンなら私が焼いてあげるから」

 そりゃ、加代子だって可愛い子だと思う。親が言うのもなんだけど、テレビに出したって通用するぐらいだと思う。だと思うが、正直に言って、この子には負けると思ってしまう。テレビを見ながら、「加代子」に焼いてもらったパンを食べる。じいっと見る勇気がないので、チラチラと視線を送っていると、だんだんと不審な目で見られるようになってしまった。
 「なーに、お父さん。どうしたの、さっきから」


 「いってきます」
 随分と良い日だ。冬だけど適度に明るく、息も白くならない程度には暖かい。もし目の具合か何かで家族が別人に見えるだけだとしても、やっぱり天気がよければ気分もよくなる。たぶん、ここんところノイローゼ気味だったんだな。それに、家族が美形に見えて不都合は無い。いいことじゃないか。親の欲目かもな。

 「あーお父さん、ゴミ!」
 加代子(仮)が、あわててゴミ袋を台所から持ってきた。



 マンションのエレベーターに乗り込もうとした時、後ろから
 「ああンー、ちょっとまってー」
 振り返ると、廊下をバタバタとゴミ袋を持ったおばちゃんが走ってくる。
 「はああ、ありがとう。宮田さん、今日はちょっと早いのねえ」

 知らないおばちゃんだ。
 「そういえば、今度の日曜日に、ほら、裏口に監視カメラをつける話。管理組合で決めるでしょ」
 「ああ、それは聞いていますけど」
 「でも、一日中動いてるのって、プライバシーとかでちょっと、と思うのよ。で、息子に聞いたら、監視カメラって秋葉原とかで、もっと安く売っているって言うじゃない。やっぱり、あれかしらね。松山さんところのご主人、電機メーカーだったでしょ。そこの製品を買わせるつもりなんじゃないの、このマンションにさあ。いくら物騒っていっても、このあたりじゃまだ空き巣なんてないし、それだったらいっそのこと偽物でもいいかもしれないと思うんだけど、どうなのかしらねえ。やっぱり、宮田さんのところのお嬢ちゃん、まだ小さいから安全に気をつけないといけないわよね。そうそう。じゃあ、やっぱりカメラに賛成するの?だって、カメラと警備会社入れたら結構、月々にかかるって、私の友達が言うのよ。会長さんが何箇所からか見積もりとってても、どこも高いんじゃあねえ。どれくらいかかるのかしらねえ」

 たった5階のエレベーター妙に長い。間違いない。話の内容からすると大川さんの奥さんだ。でも、これは明らかに別人である。別人の顔をしてはいるが、どうも「おばちゃん」は大同小異であるようだ。違和感が無い。だから、適当に相槌を打っておいた。幸か不幸か、別に、誰もが美形に見えるわけでもないようだ。

 いつもの7時8分の通勤快速に乗る。今日も、いつもと同じぐらいに混んでいる。会社員、OL、学生風と。まあいつ見ても同じような感じである。今朝の自分はどうかしていた。細かいところまでは思い出せなかったが、家族や隣人が別人に見えるなんて。本当に別人だったら、あそこまで会話がかみ合うこともないじゃないか。

 通勤電車の中の乗客まで、もし別人に変わっていたとしても、あまり自分にとって関係は無い。都会の他人なんぞは、モザイクタイルの一片と同じで、どこに並んでいても同じ色なら問題ない。もしコンピュータ制御のロボットであったとしても、自分には関係ないことだ。どちらにせよ通勤電車の中では、たんなる圧迫してくる物体以上のものではない。隣の、背広にふけが散っているおじさん。この人は昨日と違う顔なのだろうか。



 途中の駅で乗り換えるとき、反対側のホームに部長が見えた。一番先頭に立って電車を待っている。軽く会釈をするが、反応が無い。でも、さっき目線が合ったような気がする。いや、ちゃんとこちらを見ていたはずだ。昨日のミスをまだ許していないのか、ただ目が悪かったから見えなかったのか。それにしては会社とは別方向のホームに並んでいる。これから朝一で会議があったはずだ。昨晩作った提案書をチェックするとかで。と思っている間に、部長は空いている下り電車に乗り込んで、行ってしまった。


 会社に着くと、もう半分くらいは出社していた。でも、みんな知らない人だ。ビルの階を間違えたわけでもない。その証拠に、会社は私の勤めている所だし、デスクだって私のだ。やはり今朝と同じだ。どうやら上司、部下、同僚がみんな違う人に変わっている。みんな変わってしまったのだ。部長、そうだ部長だ。今朝見たぞ。まだ来ていないはずだ。あんな電車に乗ってしまったのだから。

 「宮田さん、ちょっと」
 はい、と振り返ると、いつもの白髪交じりの、骨ばった部長の顔が見えた。でも、感じは似ているがやはり別人。社員かどうかもよく分からないが、彼の着けているID証は、確かに部長のものである。奇妙なことに貼ってある写真には何も写っていなかった。それに気を取られながらも、どうにか書類の見積もりに関して答えてから会議室へ向かった。

 私は、人見知りする方だと思う。特に、まったく初対面の人間の前で話すのは。ましてや、どこの誰とも分からない人間たちの前では。ID証に書いてある名前は、昨日も会議した同じメンバーであるが、おかしなことに、どれにも部長と同じく写真が入っていなかった。

 「で、宮田君。コンペティターの出方はどうなの?」

 貫禄のある声だ。見ると、見たことも無い若造がいる。髪を薄茶に染めて、高そうなスーツを着ている。なんだ、こいつ。何様かと思えば、どうやら役員の誰からしい。うちの役員は、どんなに若くても50代後半だったはずだ。社長の息子みたいな感じであったが、いや、ID証の名前は良く見えない。でも、役員の誰かなんだろう。

 趣旨を説明していると、全員が納得して聞いてくれているものの、なんだか感覚がグニャリとしてきた。よく分からない。よく分かっているのだが、脳の中までは浸透していかないような気分。自分が、別に居るような気分。胃から何かが逆流してきそうになるのを懸命にこらえて、会議が終わるのを願った。ようやく終わる頃には、頭蓋がハンマー投げのように振り回されているような感覚を覚えた。
それでも、意識だけは明確で、おそらく参加者の誰一人として、私の異変には気がつかなかったと思う。大筋は承認されたので、あとの細かな修正点だけチェックしておくよう部下に頼んで、ソファーでしばらく休むことにした。

 「宮田課長、このごろ大変でしたからねえ。少し休んでいてくださいよ。あとは私たちで仕上げておきますから」
 「課長、これを飲んでください」

 心配してくれた部下(だろうと思われる)女性が、頭痛薬と水を持ってきてくれた。どこかで見たことがある。顔を見ると、やはり女優のNにそっくりである。この前に大ヒットしていたドラマが、こんな感じのオフィスが舞台の話だったはずだ。いいなあ。ドラマの主人公になった気分だった。いや、まてよ。あのドラマだと、上司は敵役だったなあ。どうでもいいが。


 一時間ほど横になっていると、だいぶ楽になった。頭痛薬が効いたらしい。どうにか仕事を終わらせて、定時に帰ることにした。こんな時間に帰ることは久しぶりで、ここ何年か無かったことだと思う。念のために律子の携帯にテレビ電話をしておくことにした。

 「珍しいわね。お父さんが帰る前に電話を入れるの。このテレビ電話機能だって、初めて使うんじゃないの?」
 「そうかな。たまに早く帰れるんだから、ちょっと驚かそうと思ってね」
見知った彼女の顔ではなかった。エプロンは、本人のものだったが顔は、今朝の女性である。携帯のテレビ電話でよくみると、アイドルのSにとてもよく似ている。もしかすると、本人なのかもしれない。まったく、ドラマの主人公になった気分だ。悪くない。

 たとえ幻覚であったとしても、よく見える分には不都合はない。まあ律子の名誉のために言っておけば、彼女だって容姿は良い方だと思う。いや、なかなかの美人だ、と言っておこう。それでも結婚してから12年も経つと、いろいろと変わるものさ。勝てないものもある。まあ、あとは帰ってからゆっくりと・・・・




 と、考えてながらガード下を歩いていると、前から歩いてきた男が私を見据えてきた。がっしりした体つきの中年の男で、薄汚れた緑のパーカーを着ていた。その筋ではなさそうなものの、まず関わりにはなりたくない。私が顔を背けると、彼は急に進路を変更し、私の肩を掴んで耳元でささやいた。

 「おまえは、分かるんだなッ?まわりが全員別人になっているってことを。しっ。周りの連中には気づかれないようにしな。なに、悪いようにはしない。むしろ、あんたと同じ立場のものだ。言ってみれば同志さ。ちょっと、こっちにきな」

 近くの入り口から地下道へと下りると、男は「変電設備」と書いてある扉を開けた。わけの分からないコードがのた打ち回っているが、中は意外に広くまた違う通路への階段があった。変電設備の一帯を越えて、通路を何度か曲がった所に、また鉄の扉がある。一定のリズムで男がノックすると、中から声がした。合言葉。ドイツ軍に占領されていたパリのレジスタンスのようだった。言われるままに入ると、どうもまあ、思っていたようなレジスタンスとは異なり、薄暗い空間の中に、どこにでもいそうな普通な感じの男女が7人。もっと、せっぱつまった感じの、ヒゲ面の男どもが屯している風景を想像していたのだが。

 「みんな、聞いてくれ。新しい仲間だ」
 と紹介されて、初めて我に返ることが出来た。
 「えっ、仲間ってなんですか。私は違います。この人に連れてこられただけです。無関係です。はやくここから出してくださいよ」

 7人は、仲間だと紹介された私を、至極当然といった風で眺めていた。そのうち、一人がお茶の缶を出してくれた。お茶を出してくれるテロリストというのは、どうも間が抜けている、と思う。

 「なんだかよく分からない、だけどお前はついてきた。そう『周りの人間が別人になっている』ことに、気がついているからじゃないか。そうだろう」
 「まあ、別の人に見えるというのは否定しませんけど、それは何か私の目か精神の問題であって、今日一日、ちゃんと不都合無く過ごせましたし、やっぱり単なる気のせいだと思うのですが・・・・・。あれ、なぜ別人に見えることを?」
 「やはりな。そうだろうと思ったよ。我々も、気づいたのは別々の時期だった。毎日の生活に、なにか言葉に表せない断絶があることに、薄々感づきだした。今日の自分が、昨日の自分とは連続していない、それどころか、昨日は別のことをしていたのではないかと。初めは我々も妄想かと思ったさ。だがね、毎日の生活に注意していると、やはり自分達が日々、変わっていることに気がついた」
 「そりゃ、誰だって日々変わっているんじゃないですか」
 「いや、そういう話じゃあない。日々、誰かと交代で人生を生きている、誰かと人生をとっかえ続けているのさ」

 誰かと人生を取り替える。誰しも、一度は夢想することだろう。頭のいいヤツとすりかわって名門大学に行きたい、もっともてたい、もっとお金持ちになりたい、全国ネットに自分の歌を披露したい、言い出したらきりが無い。それは分かる。

 「でも、それがなぜ家族や同僚が別人に見えることと関係が・・・」
 「つまりだ。あんたは何かの弾みで、昨日から連続した意識を持つことになってしまった。この世界に居る人間は、午前零時になると、全員が他の人と人生を取り替えることになる。だが、我々と同じくあんたも、その交換の輪から外れてしまった。家族の人は、交代した、別人だ。もっともあんたも、それに気がつく前までは、毎日、知らない人間たちと一夜限りの家族ごっこをやっていた、ということになるがね」
 「ということは、いままでの私の本当の家族は・・・」
 「それは、我々も知らない。あんたが生まれてから今まで、おそらく毎日、別の人間が両親、兄弟姉妹、妻子になっていたはずだ。どの組み合わせを、あんたの本当の家族といえばいいのか、わからない。無いのかもしれないし、どの組み合わせも『本当の家族』と言えなくも無い。今日、あんたの感じた違和感は、あくまでも『昨日の組み合わせ』と『今日の組み合わせ』のギャップに過ぎない」

 これは、本当に危ないところに連れ込まれてしまった。それにアジトにしては、妙に生活感がある空間である。キッチンと、ベッド、ソファ、テレビも備え付けてある。ちょっとした広間のようだ。それにしても、地下鉄会社の知らないうちに、ここまで大胆に改装できているのも、明らかにおかしい。メンバーの感じが普通なのも、逆に恐ろしく思える。ここは、誤魔化しても早く、ここから逃げなくてはならないと思った。

 「はあ、それは面白い説ですね。私もうなずける部分があります。それでも専門職、例えば外科手術なんか、一般の人に代わったらどうするんですか?手術なんてできないでしょう」
 「問題は無い。だいたいのところは機械がしてくれる。ベーシックなやり方は、12時の交代時間でマスターできるようになっているらしい」
 「そんな危なっかしいことで、人の命が救えるのですか?」
 「いや・・・プロだって失敗することはあるんだ、ってことだろうね」

 つまらなさそうにしていた若い男が、どこかから拾ってきたと思われるテレビをオンにした。日本代表のサッカー中継をしていた。視界に入ってきたイレブンは、当然のことながら全く知らない人間だった。見るからに線の細い素人っぽいのがPKを外した。若い男は、無表情に試合を観察した後、またテレビを消した。部屋は、また静かになった。

 もし、あれが本当の(つまり私が知っている)中田選手だったとしても外すことはある。だから怪しまれることも無い、ということか。


 何にでも成れるんだ。ローテーションだから。究極の平等だ、ということだよ。今は貧乏でも明日は金持ちかもしれない。夢の舞台にだって、ローテーションで立てる。生まれや育ち、能力すら関係ない、究極の平等社会だ、ということらしいが、とその男は言う。
 「こんなのは願い下げだ。毎日、違う自分になっているなんて、考えただけでぞっとするぜ。じゃあ、いままで過ごしてきたのは誰の人生なんだって。みんなニセの記憶なんだ。その日に割り当てられた『キャラクター』の設定だって事に気づいたときはほとんど絶望したよ。朝起きたら、全く違う人間なんだぜ。で、ネットに書き込んだところ、同じように感じている仲間が、こうして集まったってわけだ。ここは、鉄道会社に勤めている赤木が押さえてくれた。で、こうして街で、俺たちと同じ『眼つき』をしている人間を連れてきて、仲間にしている」

 「はあ。それは、重要なことですね。ちょっと、あまりにも突飛なことなので、考えさせてください。今の話だと、私だけは、また明日も今日の私で居られるわけですよね。それなら、その話が本当かどうかも分かるはずです」
 そう言うと、緑のパーカーの男は、緊張を少し、解いたようだった。

 「俺たちは、みんなが『自分の人生』を生きられるように、システムに対して反乱を起こそうとしている。みんなの目をさまそうってわけだ。だが、メンバーが足りねえ。明日、我々が話したことがウソじゃないとわかったら参加してくれるかい?」

 ピピッ。

 私の時計が鳴った。気がつかないうちに、12時になってしまったようだ。急に緑のパーカー男の声が止んだと思うと、アジトの7人全員がうなだれた。私も、強烈な眠気に襲われたが、なんとかぐらぐらと、あと一歩のところに踏みとどまれた。だが7人は、うなだれたまま部屋を出て行った。夢うつつのような感じというか、幽霊の行進といった趣である。

 彼らがアジトから出て行ったかと思うと、今度は違う人々が入ってきた。今度は新人サラリーマン風の男が緑のパーカーを着て、私の前に現れた。

 「良い返事、まってるぜ」