「おまえんとこの駅の地下道、幽霊出るんだってな」
初耳だ。
「なんだよ、それ。都市伝説か」
「赤いコートの女だよ。テレビで昨日やってた。まつだー、昨日の幽霊の見たよな」
「お、かわいそうに。今日は一人じゃ帰れないなあ」
バイト先の忘年会は、事務所の三軒となりにある居酒屋で行われていた。
「一人暮らしの、彼女のいない寂しい若い男にでるだって」
「うるせーな」
夏ならともかく冬には出て欲しくないな。
もう一軒もう一軒、カラオケ3次会が終わったのは、終電の出る5分前だった。同じ方向の酒くさい数人で駆け込んだ電車も、走るにつれ次々客が減ってゆき、最後に残った平松は1人で駅に降りた。電車から出ると、冬の空気に思わずフリースの襟を立てた。
駅前はコンビニしか開いていないが、昼間でもあまり栄えていないからたいした変わりもない。誰もいない、シャッターの閉まっている商店街を通る。このところ昼間でも閉めたままの店が多くなってきて、夜になってしまえば申し訳程度にしか明かりはついていない。暖かみがまったく無い街だった。進んでゆくと、やっと
地面が照らされている場所があった。出来たばかりのコンビニだ。その角を左へ曲がると、線路の下を潜って向こう側に出られる近道なのだ。
地下道の前に来たとき、ふと、今日の忘年会で言われたことを思い出した。幽霊、赤いコート、か。そういえば、前からそんな噂もあったが、今まで出たためしがない。しかも、ここを通らなかったらずっと向こうの踏切まで歩かなければ。中をそっと窺ってみた。凍てつく冬の風が、向こう側から吹いていた。
いつも通りにいつもの道を歩くのだ。
僕は誰もいないトンネルの中に入っていった。
足音が、冷え切ったコンクリートに反響する。金網に覆われた蛍光灯が、ジジジと言いながら点滅している。
「ユーレイ?冗談じゃない」僕は歩調を速めた。
カツカツカツカツ。
「・・・」
少し歩調を緩めてみよう。
カツ・カツ・カツ。
同じリズムだ。何かついて来る。そう、2、3mぐらい後ろをぴったりと。
「赤いコートの女だよ」
とたんに、居酒屋で聞いた話を思い出してしまった。あんなバカ話、信用するわけないじゃないか。
カツ・カツ・カツ
トンネルの半分を過ぎても、靴音はまだ離れない。
僕は振り返った、とそこには赤い
「キーホルダーか。」
カバンについていたプラスチックの赤いマスコットが、金具に当たっていたのだ。夜は、普段なら気にならないようなこんな音まで、結構大きく響かせる。指で押さえると僕は、小走りでトンネルを過ぎようとした。
あと3mで出口に差し掛かろうとしたそのときだった。突然、車のライトが目に入ったかと思うと、かなりのスピードでトンネルの出口に突っ込んできた。
「あっ」
声にならない声を上げた瞬間、・・・車は止まった。
「ばかやろう」
人が出てきた。相当飲んでいるらしい。中年のパンチパーマをかけた偉そうな人が、ジャージを着た若いの二人に何か説教している。彼らは怒鳴りながら電柱の向こう側へ見えなくなっていった。
トンネルの中に取り残された。彼らの乗ってきた黒い高級外車は、出口をちょうどいい具合にふさいでいる。
ボンネットの上を這えば、ぎりぎりで出られるかもしれないが、へこむだろう。いや、成人男性が完全に乗ってしまうわけだからへこまないわけが無い。へこまなくとも傷くらいはつく。
車の上を見るとうっすらと白くなっている。そういえば雪が降ると天気予報で言っていた。道理で寒いわけだ。
さて、この調子だと車はどきそうにない。この地下道を通らないとなると、かなり回り道をすることになる。車の正面をおもいっきり蹴飛ばす、仕草だけして僕は来た道を引き返しはじめた。
キーホルダーを押さえるために出していた手がかじかんできたので、ポケットにいれると、再び規則正しいキーホルダーの音がトンネル内に響いた。道は少し傾斜し始め、もう一方の出口に差し掛かる直前のことだった。
「グワンッ、ドン」
なにかオレンジっぽい巨大な物体が視界を埋めた。
おもわずのけぞった。
「なんなんだよ」
出口は完全にふさがれてしまった。巨大な物体は、静かに宇宙から来た光を点滅させる・・・はずもなかった。ただのプラスチックの質感が、そこにあった。右上に、どこかで見たことのある帽子・・・。
「警察のマスコットか」
そうだ、地下道の入り口に置いてある巨大な警察のマスコットだ。何かの拍子に転がり落ちたのだろう。軽そうだったので手で押してみた。蹴ってみた。体当たりをしてみた。
動かない。びくともしなかった。プラスチックの空洞なので、蹴るたびに笑いたくなる音が出る。
「どこかに引っかかってんのかよ」
風は入らなくなったが、寒いのには変わりない。警察のことは警察へ。僕は携帯で110番をかけた。
「はい、警察です。どうしましたか」
平松は、外車と警察のマスコットが地下道をふさいで出られなくなったことを告げた。今いる場所を告げると、
「ああ、そっちですか。そっちはウチの所轄外なんですよ。なんとかそこを押したりしてでられませんか」
「出られたら、電話なんかしていません」僕はは珍しく声を荒げてしまった。
「でもおかしいですね。そんなに重いもんでもないだろうに。まあ、一応、パトロールに言っておきますから。出られたら出てください」
寒い。電話から30分。誰も来ない。コンビニが近くにあるのだから、誰か来てもよさそうだが、来ない。
「ああ、俺だよ」
「なんだよ。夜遅くにかけてくんなよ」
「ちょっと助けてくれないか」
「何を」
「あそこの地下道に今閉じ込められちゃって」
「地下道?」
「コンビニの角」
「ああ、あの線路の下の。いまからか。何時だと思ってるんだ」
「悪い悪い。でも・・・」
「警察にいえよ。こっちだって疲れてるんだから。切るぞ」
携帯のディスプレーに「通信終了」と出た。友達甲斐の無いやつだ。自転車に乗って10分ぐらいで来られるのに。
ジジ・ジ・・・・
今までかろうじて、寒色の光をトンネル内に提供していた蛍光灯が、ついに寿命を終えた。
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