『館長さんへ』 - Dear Mr.Director - | |
「ちぇっ。また行き止まりですよ。どうしますかぁ」 「大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」 そう。この街なら、隅々まで知っている。初めて海外支局への移動で、4年ほど住んでいた。始めは他の、もっと大きな国に行くはずだったのだが、無理にここにしてもらった。大学で考古学を専攻していたからだった。この国には都市や城塞の遺跡が数多くある。直接には、あまり関係のないマスコミを職業に選んでしまったとはいえ、せっかく海外に行くのならば、少しでも休みの日などに古いものを見て回れ、観光旅行ではあまり行けないようなところに行きたかった。 「坂井さんには、何時ごろに着くって言ってあるの」 相変わらず街は太陽に照らされて白く見えているが、その影にはまったく悲惨な情景が展開されている。ほら、見えてきた。このあたりは、市内一のショッピング地区だったはずだ。休日になると妻に連れてこられていたから、店の一軒一軒まで記憶に残っている。だが、今はどうだ。どのシャッターも乱暴にこじ開けられ、ショーウィンドーには何も残ってはいやしない。 それでも、まだ火をつけられなかっただけでもいいほうだ。官庁街などは火を消す者もいないから、もう2日は燃え続けている建物すらある。きっと焼けるものがすべて焼けてしまうまで消えることはないだろう。警察どころか消防すら、この国では機能していないのだ。焼ければ焼けるほど、自分たちの生活が苦しくなるだけなのに。 「もうすぐ、だと思う」 道路には時々、警備中の兵士を見かけるだけで誰も歩いていない。ゴーストタウン、といえば表層的だ。人の生活している匂いは確かにある。別に、私たちの車が来たから隠れたということでもないのだろうが、本当に寂しかった。 「ここで止まってくれ」 車を降りると、警備中の二人組みの兵士に呼び止められた。報道の許可証と腕章を示すと、若い白人兵士はあごで「行け」と建物の方角を指した。もう一人はこちらを一瞥するだけで、周囲を警戒し続けている。もし、この兵士が錯乱して手に持った銃で私たちを撃ったとしても、今の自分なら不思議とも感じずに倒れていくだろうとさえ思う。やはり暑気のせいなのだろう。私たちは国立博物館に入っていった。 やはり、中は予想通りの荒廃しきっていた。床一面に破壊されたショーケースの破片が撒き散らされ、美術品は大小を問わず何も、何もなかった。正面には、古代王朝の碑文や槍を構えた戦士像などの大きな石の品々が展示されていたはずだ。いったい、どうやって持ち去ったのか、見当もつかない。 「これは酷いですねぇ」 と口に出してみたものの、何もない、空っぽの建物が燃えても燃えなくてもあまり違いは無いのかもしれない。歩くたびにガラスの破片がギシギシと音を立て、靴の底で細かく割れていく。風が吹くと、割れた窓から砂煙が館内に入り込み、汗をかいた首筋にざらりとまとわりつくのだった。 「戦争には略奪がつきものですけど、コレは攻め込んだ人間が取っていったんじゃなくって、攻め込まれた側が取っていったんですよね」 割られた窓の向こう側に、公園内の築山が見えた。頂には、確か、強烈な日差しを避けられるように大きな屋根が付いた休憩所があったはずだ。今そこにあるのは、弾痕の周囲だけ塗りが剥がれ落ちて、奇妙なまだら模様を見せている、一枚の壁であった。 「フジー、フジーかい。来てくれたのか」 10年ぶりの館長は、すっかり年を取ってしまっていた。年齢だけではなく、戦争が始まってからの絶えぬ気苦労のせいだろう。いつも真っ白で清潔な衣服を着こなし、精力的に館内を動き回っていたその人とは思えない。深い皺が刻まれ痩せた顔に、薄汚れた服をひっかけた老人となってしまった。館長を抱きしめると、とても軽く感じた。 促され、館長室に入った。そこも例外ではなく、応接セットや書籍などすべてがなくなっていた。館長が掃除したのだろう。まるで引越しが終わった後のようにさっぱりとしていた。今では美術品保管用の空き箱が最上級の椅子なのである。
「私にも、ここでやることはたくさんあります。ここの情景を撮って、日本や世界の人々に知ってもらうのです」 「では、あの地図もそうなんですか」 「藤川さん、もう時間過ぎていますよ」 「やはり、何かしないとな・・・・」 焼け焦げた街を通り抜けてホテルに着くと、案の定、坂井さんは私たちが約束の時間になっても現れないので軍に捜索を要請しに行くところだった。停電で薄暗いロビーの中、博物館での出来事を話した。彼は盗まれた美術品を探すキャンペーンを提案してくれた。 それから私は、毎日のように博物館に館長と篭って、略奪された品々のリストを作った。それをホームページに掲載し、どこかで見かけたら一報してくれるように全世界に呼びかけたのだ。あわせて寄付金も集め、破壊された館が全面的に改装されるまで、安全な海外の博物館で一時的に保管・修理・展示していた。 そして、今日、ついに平和がもたらされた国に美術品の里帰りが果たされた。 |