『館長さんへ』

- Dear Mr.Director -

「ちぇっ。また行き止まりですよ。どうしますかぁ」

 市内地図を見ていた八木君が悪態をついた。載っている情報はだいぶ前のものだし、ここ数日で瞬間、瞬間、いまでも変わり続けている。紙に印刷された地図は都市のフィクションでしかないことを、いやというほど思い知った。地元出身のドライバーの気持ちは、背中とバックミラー越しの視線で、痛いぐらい伝わってくる。
「なら、一つ手前まで戻って左の方向に。抜けられる道があるから」
「崩れていなければ、の話でしょう?」

 市街戦が終わった直後に首都に入った私は、頭の中がぐらりとするような感覚を覚えていた。ストリートを覆う砂埃、商店の看板、焦げた廃墟、首のとれた銅像。過去と現在の風景がモザイクのように入り混じり、目の前で起きていることに自信が持てなかった。もちろん、道端で異臭を放つ乗用車の残骸や、割れた窓ガラスが「今」ある物だということは、私にも分かっているが、どうしても現実のようには思われない。

「大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」
「なんとか。しかし、ひどい匂いだね」
「まだ何か焼けているんじゃないですか。カメラの用意は、さっきからしてありますよ」
「じゃあ、もうそろそろ回しておいてよ」

 そう。この街なら、隅々まで知っている。初めて海外支局への移動で、4年ほど住んでいた。始めは他の、もっと大きな国に行くはずだったのだが、無理にここにしてもらった。大学で考古学を専攻していたからだった。この国には都市や城塞の遺跡が数多くある。直接には、あまり関係のないマスコミを職業に選んでしまったとはいえ、せっかく海外に行くのならば、少しでも休みの日などに古いものを見て回れ、観光旅行ではあまり行けないようなところに行きたかった。

「坂井さんには、何時ごろに着くって言ってあるの」
「16時です」
「なら、あと2時間は大丈夫だね。なら、次の角を左に」
「藤川さん、ホテルの方向と違いますよ」
「わかってるさ。ちょっと見ておきたいところがある」

 相変わらず街は太陽に照らされて白く見えているが、その影にはまったく悲惨な情景が展開されている。ほら、見えてきた。このあたりは、市内一のショッピング地区だったはずだ。休日になると妻に連れてこられていたから、店の一軒一軒まで記憶に残っている。だが、今はどうだ。どのシャッターも乱暴にこじ開けられ、ショーウィンドーには何も残ってはいやしない。

 それでも、まだ火をつけられなかっただけでもいいほうだ。官庁街などは火を消す者もいないから、もう2日は燃え続けている建物すらある。きっと焼けるものがすべて焼けてしまうまで消えることはないだろう。警察どころか消防すら、この国では機能していないのだ。焼ければ焼けるほど、自分たちの生活が苦しくなるだけなのに。

 「もうすぐ、だと思う」  
 まだ存在していれば、と心の中で付け加えたかった。繁華街を抜けると、市内一大きな公園がある。ここも数日前までは市街戦が行われていて、近づくこともできなかった。市内には珍しく緑豊かな場所だったが、ここ一ヶ月続く停電のため、市民が煮炊きのためにすべて伐ってしまって、切り株だらけになっている。電力が蘇らなければ、きっと切り株さえも掘り起こされ、何も育たぬ荒地になる。

 道路には時々、警備中の兵士を見かけるだけで誰も歩いていない。ゴーストタウン、といえば表層的だ。人の生活している匂いは確かにある。別に、私たちの車が来たから隠れたということでもないのだろうが、本当に寂しかった。

「ここで止まってくれ」

 車を降りると、警備中の二人組みの兵士に呼び止められた。報道の許可証と腕章を示すと、若い白人兵士はあごで「行け」と建物の方角を指した。もう一人はこちらを一瞥するだけで、周囲を警戒し続けている。もし、この兵士が錯乱して手に持った銃で私たちを撃ったとしても、今の自分なら不思議とも感じずに倒れていくだろうとさえ思う。やはり暑気のせいなのだろう。私たちは国立博物館に入っていった。

 やはり、中は予想通りの荒廃しきっていた。床一面に破壊されたショーケースの破片が撒き散らされ、美術品は大小を問わず何も、何もなかった。正面には、古代王朝の碑文や槍を構えた戦士像などの大きな石の品々が展示されていたはずだ。いったい、どうやって持ち去ったのか、見当もつかない。

「これは酷いですねぇ」
「いや、これぐらいはなっていると思っていたよ。むしろ、放火されなかっただけ上等なんじゃないかな」

 と口に出してみたものの、何もない、空っぽの建物が燃えても燃えなくてもあまり違いは無いのかもしれない。歩くたびにガラスの破片がギシギシと音を立て、靴の底で細かく割れていく。風が吹くと、割れた窓から砂煙が館内に入り込み、汗をかいた首筋にざらりとまとわりつくのだった。

「戦争には略奪がつきものですけど、コレは攻め込んだ人間が取っていったんじゃなくって、攻め込まれた側が取っていったんですよね」
「どっちでも、関係ないさ。残念だけどみんな、『お上』の持ち物だと思っている。自分たちの財産、ひいては人類の遺産だなんて考えてもいない・・・」

 割られた窓の向こう側に、公園内の築山が見えた。頂には、確か、強烈な日差しを避けられるように大きな屋根が付いた休憩所があったはずだ。今そこにあるのは、弾痕の周囲だけ塗りが剥がれ落ちて、奇妙なまだら模様を見せている、一枚の壁であった。

「フジー、フジーかい。来てくれたのか」
 振り向くと、白い口ひげを蓄えた老人が、両手を広げて駆け寄ってきた。
「館長、よくぞご無事で」
「ああ、とても恐ろしい目にあったが、わしは生きているよ。いつ首都に入ったんだね」
「ついさっきです」

 10年ぶりの館長は、すっかり年を取ってしまっていた。年齢だけではなく、戦争が始まってからの絶えぬ気苦労のせいだろう。いつも真っ白で清潔な衣服を着こなし、精力的に館内を動き回っていたその人とは思えない。深い皺が刻まれ痩せた顔に、薄汚れた服をひっかけた老人となってしまった。館長を抱きしめると、とても軽く感じた。

 促され、館長室に入った。そこも例外ではなく、応接セットや書籍などすべてがなくなっていた。館長が掃除したのだろう。まるで引越しが終わった後のようにさっぱりとしていた。今では美術品保管用の空き箱が最上級の椅子なのである。

「奥さんはどうしてるんだい」
「日本に残してきました。危険ですから」
「それがいい。君に何かあったら、あの美人の奥さんが悲しむよ。あんまり長くこの国にいない方がいいと思う。私は、ここでやることがたくさんあるから留まらなければならない」

 

「私にも、ここでやることはたくさんあります。ここの情景を撮って、日本や世界の人々に知ってもらうのです」
「それならば、いま、そこの彼が抱えているカメラを回しておくれ。ここのありさまを知ってもらいたいんだ」
 カメラマンは、録画を始めた。
「この博物館で何が起こったのですか」
「まったく恐ろしいことだったよ。爆撃が終わった朝、テレビを見たら首都まで彼らが来たというだろう」
 館長は、窓の外に見える外国人兵士をあごで指した。
「きっとここにも来てくれると思ったんだ。すぐに。でもその前に棒切れや小銃を持ったイカレタ連中がやってきて、あらかた持っていってしまったよ。一切合財、すべてだよ。何にも残さず、無慈悲に。私が、一生をかけて守ってきたものが。それが・・・・それが失われ・・・・ああ、すまない」
 私が差し出したハンカチで、涙を拭いた。

「では、あの地図もそうなんですか」
「ああ。そうさ。あの大帝国の皇帝が、自らの版図を永久にとどめ神に捧げる為に作った、黄金の地図。この館きっての秘宝だった・・・・。それも誰かが盗んだ。きっと、豊かな国の金持ちが闇で買って屋敷にでも飾っているんだろう・・・・。まったく、わしは口惜しい。なにも出来ないんだ・・・・」
「やっぱり、そうでしたか・・・・」
 何も言えなかった。

「藤川さん、もう時間過ぎていますよ」
 小さい声で教えられると、確かに約束の時間が過ぎている。こんな土地だから、何かに巻き込まれたかと坂井さんなら心配しかねない。館長に暇乞いして車に乗り込んだ。ミラーから、館長が手をふっているのが見える。こんな状況だから、これがお互い合うのが最後かもしれない。角を曲がるまで、本当に、懸命に手をふってくれていた。

「やはり、何かしないとな・・・・」
「そうですね。何が出来ますかね」
「うん。それは考えよう・・・・」

 焼け焦げた街を通り抜けてホテルに着くと、案の定、坂井さんは私たちが約束の時間になっても現れないので軍に捜索を要請しに行くところだった。停電で薄暗いロビーの中、博物館での出来事を話した。彼は盗まれた美術品を探すキャンペーンを提案してくれた。

 それから私は、毎日のように博物館に館長と篭って、略奪された品々のリストを作った。それをホームページに掲載し、どこかで見かけたら一報してくれるように全世界に呼びかけたのだ。あわせて寄付金も集め、破壊された館が全面的に改装されるまで、安全な海外の博物館で一時的に保管・修理・展示していた。

 そして、今日、ついに平和がもたらされた国に美術品の里帰りが果たされた。
 他の美術品は、あらかた取り返せたが、あの、館長の捜し求めていた黄金の地図だけは、とうとう見つからなかった。この日を、もし館長が迎えられたとしたら嬉しんだろうか、悲しんだろうか・・・。