『工場の月』

- The Moon over the plant -

 市街地を出て、2時間ぐらいたった。同じような風景の砂漠の中を、パジェロはずっと走りつづけていた。もし、ぐるぐる同じところを回っていただけだとしても、きっとわからないに違いない。
「あとどれぐらい」
「もう着くよ」
 何回繰り返されたかわからないこの問答。容赦なく照りつける太陽と道路上に見える陽炎が、異邦人の私を追い払おうとしている。きっと、すぐに肌が焼かれてしまうような光だ。空にも地にも、人を守るものはこの車しかない。クーラーがついていなければ体中の水分が、瞬時に蒸発してしまうだろう。
 「見える?ほら、あれだよ」
 運転手が指差す砂丘の向こうには、見え隠れしながらも巨大な白いドームが見え始めていた。砂丘が途切れると、辺り一面に、数え切れないほどのソーラーパネルが同じ向きに光っていた。花畑のようだ。一面に咲いている。その中にそびえたつ白亜の城。城は段々大きくなっていく。どれぐらい大きいのか分らなくなると、ようやく車が止まった。降りると、視界が真っ白に埋め尽くされた。額から汗がこぼれた。
「ようこそ、ミスターヒラノ」
 白髪頭の工場長が、分厚いてのひらを差し出した。
「暑い中、大変でしたね。さ、どうぞ中へ」
 建物の中は外とは全く違った。空気からして違う。瑞々しい。しかも春先ぐらいの過ごしやすい気温だ。汗はすぐに引いていった。
「ここまで来た本社の人は、あなたが初めてですよ」
 彼は心底嬉しそうに、私の手を握りつづけた。
「ここが、わが食品本部の誇る最新鋭の工場です。大体のことは支店長さんから聞いていますよね」
「ええ、まあ」
 日本から飛んでくる間に、ほとんどの資料は読んでしまった。支店長に新しく聞いたのは、第2工場の建設案ぐらいのものだ。もっとも、日本向けの輸出が決定されれば、の話だが。
「どうぞ、こちらです。ここまでかなり時間がかかりましたでしょう。飛行機に、車に」
「旅は慣れていますから」
 応接室に向かう途中に、工場の模型が置いてあった。地上15階、地下3階の白塗りの巨大なドーム。日光は、薄い表面を通過して内部の隅々にまで行き渡るように設計してある。ドームの周りには規則正しく並べられたソーラーパネルが放射状に伸び、すべてのエネルギー消費を自給自足できる。何も無いが、土地と太陽だけは不自由しないのだ。
 案内された応接室に入ると、壁一面が巨大な冷蔵庫になっていた。収穫されたばかりのトマトが、スーパーマーケットに並べられたプラスチックのように整然と置かれている。細長いもの、大きいもの、プチトマト、黄色いもの。ありとあらゆる品種が、壁をぐるりと埋めている。この工場で作られる「製品」の見本だ。
「これ全部、ここで生産されているものなのですよね」
「アー、もちろんです。この大きな陳列棚にあるものは量産しているものです。あちら側にあるのは、まあ、見本用に小規模で作っているものですね。用途や輸出先の地域によって、作る品種は違いますね。引き合いがあったときには、すぐに対応できるように作っています」
 私は、正面のガラス扉を開けた。心地よい冷気と共に、トマトの香りが部屋へ漂いだす。
「取れたて、美味しいですよ。お客さんが来る時は、いつもこういう形にしておくんです。一目瞭然ですからね」
「確かに」
「試食だってすぐに出来ますから」
 工場長の指差す方向には、バーのようなカウンターがあって、女の子が微笑んでいる。
「たいていのことはあのスペースで出来ますからね。調理も出来ますから。スパゲッティとかね。もちろん、そのまま食べても美味しいですよ。お一つどうぞ」
 彼は日本でよく見る品種のトマトを一つ、陳列棚から取り出すと私に差し出した。真っ赤に熟れている。
 甘い。砂糖の甘さではなく、ほんとうに自然な甘さで、ほのかに酸味がきいている。
「まさか、こんな砂漠のど真中で、こんなに美味しいトマトが食べられるなんて」
 工場長は、客人の驚いた顔を満足げにながめた。
「それに、赤が鮮やかでしょう。温度差が大きいと、こんないい色が出るんですよ。もともとこのあたりは砂漠ですからね。昼夜の寒暖の差は何十度にもなります。それを調整するだけでいいんです。でね、ちょっとこれを見てください」
 ちょっと合図を送ると、カウンターの女の子が水の入ったボウルを持ってきた。
「どの棚からでも結構ですから、トマトをこの中に入れてください」
 私はわけもわからないまま手近の扉を開けた。腕を伸ばすと、ちょうどいい大きさのトマトが一つ、手のひらに収まった。言われたとおり、私はボウルの中にトマトを落とす。トマトは金属のボウルの中へ、ゆるりと吸い込まれ、やがて底を打った。
「どうです、ウチのトマトは。糖度が高くないと、こんなふうには沈まないんですよ」
 普通のトマトは、水に沈まないものなのか・・・。帰ったら試してみよう。

「では、見学コースに行きますか」
 応接室から出ると、更衣室に入る。ここで研究員のような白衣をすっぽりとかぶり、履物を換えなければならない。病原体の進入を防ぐためだ。あまり着る機会がないせいか、鏡に映った姿を見て、小学校の給食当番を思い出してしまった。白い皿に一人二個。白い皿に一人二個。プチトマトの詰まったバケツから、次々にクラスメートの皿へ移していく係だった。トングから放されると、ころころと皿の上を逃げるトマトが、なぜだか給食当番という言葉から連想されてしまうのだ・・・・・・。

 着替えを済ませ、見学コースへのアルミ製のドアを開けると、まぶしい光が目を射た。光は、ガラス張りの天井から入ると、白い建物の隅々までを照らしていた。二十数層にもなるトマト畑が、空中に浮かびながら光を余すところ無く取り込み、育っている。
「面白い眺めでしょう」
「ええ。壮観です。昔のアニメで、見たような気がします」
「でも、本当に浮いているのではないのですね。光の透過率が高い素材を用いているので、浮いているように見えるのですね」
「でも、あの畑は動いていますよ。いまだって、ほら」
 指差した先の畑は、舟が水面に浮かぶように、揺れながら移動していく。
「これらユニットは、ああ、あの一つ一つの『畑』をユニットと呼んでいるんですが、ユニットは太陽の向きや他のユニットの日照時間などによって、最適な場所へと配置されるのですね。収穫は全自動で行っておりますから、最適な時期にロボットアームによって取り込まれます」
 次のコーナーで、「ユニット」を間近に見ることができた。透明なレール上の物の上を揺れながら見学コースに近づいてくる。どの枝にも、はちきれそうなほど実ったトマトが、何個もついていた。青々とした茎の匂いがしてくる。工場長は、見かけによらず軽々とユニットに飛び移った。
「どうぞ、ミスターヒラノ」
 工場長はおどけて、舞踏会の王子があいさつするように招いた。
 続いて飛んだ。ユニット自体は、思ったよりしっかりと作られているので、着地しても、そのためには揺れなかった。見ると、レールのように見えたのはリニアモーターの電磁石らしかった。目的地に着くと、全体がゆっくり着地するのであろう。
 工場長は、ポケットからはさみを取り出して、トマトを取ると、差し出した。受け取ると、今度は自分用にもひとつ切った。二人ともユニットの端に並んで座ると、トマトをかじった。

「現在、この工場の主な輸出先はインドと南EUですが、日本にも輸出できるかどうかを確かめに来たんですよ。近年は中国産の野菜も値が上がってきた。そこで日本の消費者にもここのトマトが合うかどうかを私が、直に調べに来たということです」
「そうだったんですか。ここの製品は、全く安全です。完全無農薬で有機栽培です。虫も病気も、このドームの中には入り込めませんね。まあ、こんな砂漠の真中にあるものですから、他から虫が飛んでくることもないですね」
「味も申し分ない。日本に持って行ったら、一流のシェフが競って手に入れたがると思います」
 トマトをかじる二人を乗せながら、舟は、岸を離れた。舟は光に中を進んでいき、太陽の真下で止まった。
「この国は、戦争の後ひどいものでした。食糧も輸入に頼っていました。私の小さいときの話ですね。そのあと、石油もだんだん無くなってきました。砂漠しかない国ですから、このような工場ができて、こんなに新鮮な野菜が食べられるなんて、考えられなかったのです」
 工場長は、もうひとつ取ると、口に運んだ。
「しかし、この国に投資してくれる会社があった。今の会社ですね。ここは日照時間も長いですからね。まさにうってつけだったんです」
「なるほど。しかも安定供給、つまり何ら外的要因に左右されない、効率的な生産が可能、ということですか・・・」
「そうです。どんな自然環境にも左右されることはありません。天候不順、旱魃、地震、虫害、病気、これら人類を長年悩まし続けた農業の課題は、すべてここで解決されました」
「そういえば、水や肥料はどこから来るのですか」
「港です。水は海水から作りますね。肥料は輸入していますが、すべて安全性が保証されているものを使っています。それらを、今は使っていない、石油用のパイプラインを通じて、こちらへ送っているのです」
「製品は、どうやって出荷しているのですか?やはりトラック輸送なのでしょうか」
「いえ。そのような前近代的なシステムは使用していないのですね。もうひとつのパイプラインの中を走る高速トロッコで都市や港へ出荷しています。帰りは、工場の運営に必要なものを積んでくるのですね。あなたの来た道は、ほとんど人が通らなくてもいいのですよ、ミスターヒラノ」
 舟は、もといた岸に着いた。工場長が先に降りた。その後、隣接した缶詰工場も見学した。思ったよりも人が居ることに驚いた。全員で300名ほどが働いているというが、この規模にしては少ない。
 「今日はここに泊まっていってください。星がきれいに見えますよ」という工場長の誘いにのって、従業員宿舎内のゲストハウスに泊まることにした。

 あんなに高かった太陽も、もう沈む。報告用のメールを本社に送信すると、着替えて外へ出た。
 風が少し出てきた。砂丘の向こう側に太陽が沈んでいく、ゆらゆらと、街のある方向へ沈んでいく。太陽パネルは、太陽から放たれる、最後の光の一滴も逃すまいと、黙っている。その間を歩いた。日の沈むのを惜しむように歩いて、丘に登った。

 まったく、何も無い地平線の向こうに、日が落ちていく。赤く、黒い太陽に照らされて、砂漠の砂が、一瞬、聞き耳を立てたように止まった。丘の上に座った。

 あの日の給食で食べたトマトは、どこで作られていたんだろう。誰が作っていたのだろう。どんな気持ちで。どんな風に。
 今となっては分からない。分かったところでどうということでもないが、誰かが作っていたことは間違いない。知らない。だが今は、この工場のように、すべてを人が知ることができる・・・。

 日が落ちる瞬間、砂丘の下で何か光った。駆け下りると、黒い石だった。周りの砂の色とは全く異なる鈍い光を放っている。きっと隕石だ。砂漠は、周囲に何も無いので、隕石を発見する確率が高いと聞いたことがある。原始人の石器のようにも見える石を、空に掲げると、一面の星空になっていた。街では見ることのできない、地平線のすぐ上まで、びっしりと埋まってまたたいている。天井に張り付いたシールのように、月がひときわ大きく、届きそうだ。「自然がいっぱい」というのは、決して木がたくさんあるところだけではないのだ。涙が出てきた。
 丘の脇を通って、ゲストハウスへ戻る。途中で、看板があった。

「注意:この下にパイプライン」

 隕石を拾ったのは、パイプラインのほんのすぐそばだったのだ。人間の日常は外的要因にまったく左右されないことはありえない。私は、その冷たく輝く石をポケットに入れて「城」へ戻った。